報恩抄愚釈111

(つづき^^)
(306頁3行目〜)

「此ジョ(この じょ)の心は
大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と
法華経の義は
其の所詮(しょせん)の理は一同なれども
事相の印と真言とは
真言の三部経すぐれたり
と云云、
此れは偏(ひとえ)に善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)の
造りたる大日経のジョ
の心のごとし、」

このジョ(【慈覚】の解釈書物)の
心(【慈覚が言うところの記している主張】)は、
『大日経・金剛頂経・蘇悉地経』の
義(意味・内容)と
『法華経』の
義(意味・内容)は、
その結局のところの『理(り・ことわり)』は一緒、同じなんだけれども、
『事相』の『印(いん・手のはたらき)』と『真言(しんごん・口のはたらき)』があるので、
真言宗側の三部経(『大日経・金剛頂経・蘇悉地経』)のほうが勝れているんだ。
と(【慈覚は】)主張して記している。
これは、ひとえに、『善無畏や金剛智や不空が捏造(ねつぞう)した大日経のジョ(解釈書物)』の
心(主張していること)と同じ解釈をして記している。


(つづく)


【愚感】
(∵)
(ほんまや!
善無畏・金剛智・不空らが捏造したまんま そのまま同じことをゆうてるだけやな!((怒))`´/
アカンでアカンで!((怒))

『理』の上でも『法華経』は『二乗作仏』や『久遠実成』明かしてるけど、真言宗側の三部経のほうは明かしていないんで、『理』の時点でも一緒と違うで!`´
『法華経』が勝れてるで!^^/

『印(手の用)』『真言(口の用)』も『権経』時限のものやろ!
『実経』は『法華経』やろ!
『合掌(手の用)』と『唱題(口の用)』あるやろ!
……って これは、大聖人が明かされますんな(爆)^^;アカンアカン
歴史追い越しかけた(爆)すいません(汗)^^;
もっと根本的には『信心』による『生命力』やで!

まぁともかく
この当時の時点では、
『法に依って、人に依らざれ』で判断して行くのが鉄則やで!
慈覚!
タブらかされて
かぶれてしもたらアカンで!(怒)
『法華経』と慈覚の立場からしたら師匠に当たる『伝教大師』の仇(かたき)討つ立場やろ!
『弘法(こうぼう)』に対してボロクソに破折するんかなぁって思ってたら、

なんやこいつ!
こいつもかよ!(怒)`´/
クソ慈覚!(爆)`´)




(つづく^^)





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