報恩抄愚釈104

(つづき^^)
(305頁15行目〜)

「例(たとえ)ば 彼(か)の 月氏(がっし)の※大慢婆羅門(だいまんばらもん)が 大自在天(だいじざいてん)・那羅延天(ならえんてん)・婆籔天(ばそてん)・教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)の四人を 高座(こうざ)の足(あし)に つくりて 其(そ)の上に のぼつて 邪法を弘めし 」

例えば、かのインドの※大慢婆羅門が、大自在天や那羅延天や婆籔天や教主釈尊の4人を高座の足に造って、その上に登って、邪法を弘(ひろ)めた。

【備考】
『※大慢婆羅門』
(だいまんばらもん)
は、釈尊滅後の正法時代に生存していた南インドのバラモンの僧とのことです。
慢心を起こして、自分が座る椅子か座台なのかちょっとわかりませんが、その高座の4本の足のところに、『外道の三神』と言ってその当時、外道信仰のものたちに崇められていた『大自在天・那羅延天・婆籔天』の3人と、内道・仏教の『釈尊』とで計4人を、それぞれ高座の4本の足のところに彫りつけて、「わが徳は四聖にすぐれたり!」と言って、自分はいかなる賢人・哲人よりも優れていると慢心を誇っていたとのことです。
そして時の帝王からも信頼されていたとのことです。
そんなところへ、
西インドから『賢愛論師(けんあいろんじ)』という人が来て、『大慢婆羅門』を糺(ただ)したとのことです。
その事に対して、時の帝王が詰め寄り、『大慢婆羅門』と『賢愛論師』の【法論対決】になったとのことです。
そして、『大慢婆羅門』は『賢愛論師』に法論で敗れたとのことです。
そして『賢愛論師』の正しさに気付かれた帝王は、「邪見が晴れた!」と賢愛に感謝しました。
さらに、「自分の先の王も、この大慢にタブラカされていたんだ!」と知り、帝王は それまで騙されていたことを悔い改めた とのことです。
そして『大慢婆羅門』は帝王に殺されるだんどりになったとのことです。
しかし、『賢愛論師』がどんなことを言ったのかはちょっとわかりませんが、何か助言をされて、『大慢婆羅門』の命を奪う代わりに『五天竺を驢(ウマかロバ)に乗せて 顔を晒(さら)す』という刑罰に変更して、命は救われたとのことです。
しかし、助言で命を救われたにもかかわらず、『大慢婆羅門』は素直に受け止められずに、反省できずに、このことに恥じて、怒りのあまりに血を吐き、逆ギレして『賢愛論師』のことを怨(うら)み、さらに大乗教を誹謗(ひぼう)しだしたとのことです。
そのために、大地が裂(さ)けて、生身(しょうしん)のまま地獄に堕ちてしまったとのことです。



「が ごとし」
(305頁16行目)

(例えれば、弘法大師も、この大慢婆羅門)

の ようなものである。



(つづく^^)





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