報恩抄愚釈85

(愚釈84の続き^^)
※参照
ここのところは、

【撰時抄(276頁14行目〜)】では、
『入唐已後には円頓(えんどん)の戒場を 立てう 立てじ の論の計りなかりけるかの あひだ 敵 多くしては 戒場の一事 成りがたし とや をぼしめしけん、

【又
末法に せめさせん とや をぼしけん】』

伝教大師が中国へ経を習いに渡られて、そして日本へ帰ってきた以後は、法華迹門の戒壇を「立てる!」いや「立てるな!」の激論ばかりしてたら、逆に こじれて、敵が多くなってしまい、(伝教にとっては、肝心な問題である、)「戒壇を立てる」ことが難しくなってしまうと危惧されたのであろう。
【又、それとこの勝劣問題のほうは、末法の方々に責めて頂こう。】やっていただこう。と思われたのであろう。

って書かれてます。^^


(末法の方々は大変な責任与えられてますな。
末法の方々頑張って下さい。^^


…!(*@*)末法!
って伝教大師さん僕らに仕事回してますやんか!(爆)(^o^;)
はい。)

そして、
『皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず 弟子等にも はかばかしく かたらせ給はず』

桓武天皇の前でも、この「真言」「天台」問題のことは、あの公場対決の時のようには、詳しく教えることなく、弟子たちにも、改まって大事なことだとは語らなかったのである。

と なってますわ。(^_^;)

……こじれて、オジャンになること嫌いましてんな^^;

……像法時代の限界近づいてきてますな^^/


(報恩抄の愚釈へ続く^^)



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