報恩抄愚釈110

(愚釈つづき^^)
(306頁2行目〜)

「法華・大日経等の勝劣は漢土にして しりがたかりけるか の ゆへに」

(【慈覚大師】は、)
『法華経』

『大日経』
等(『金剛頂経』・『蘇悉地経』)

勝劣問題のことは中国(へ わざわざ習いに行って、それぞれ教えてもらって日本へ帰って来たけれども、混乱して(笑)ハッキリと どちらが勝れているのかということを)
知ることができなかったゆえにであろうか、

「金剛頂経(こんごうちょうきょう)の
ジョ七巻・
蘇悉地経(そしっちきょう)の
ジョ七巻・
已上十四巻」

金剛頂経の
ジョ(慈覚大師が慈覚大師なりに自分でまとめて造った解釈書) 7巻
蘇悉地経の
ジョ 7巻
以上合計 14巻
(の慈覚なりに解釈した書物を造った。)




(∵)
【愚所感】
…ちゃんとまとめてんやろな(笑)
…頼むで(笑)^^





(つづく^^)



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報恩抄愚釈111

(つづき^^)
(306頁3行目〜)

「此ジョ(この じょ)の心は
大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と
法華経の義は
其の所詮(しょせん)の理は一同なれども
事相の印と真言とは
真言の三部経すぐれたり
と云云、
此れは偏(ひとえ)に善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)の
造りたる大日経のジョ
の心のごとし、」

このジョ(【慈覚】の解釈書物)の
心(【慈覚が言うところの記している主張】)は、
『大日経・金剛頂経・蘇悉地経』の
義(意味・内容)と
『法華経』の
義(意味・内容)は、
その結局のところの『理(り・ことわり)』は一緒、同じなんだけれども、
『事相』の『印(いん・手のはたらき)』と『真言(しんごん・口のはたらき)』があるので、
真言宗側の三部経(『大日経・金剛頂経・蘇悉地経』)のほうが勝れているんだ。
と(【慈覚は】)主張して記している。
これは、ひとえに、『善無畏や金剛智や不空が捏造(ねつぞう)した大日経のジョ(解釈書物)』の
心(主張していること)と同じ解釈をして記している。


(つづく)


【愚感】
(∵)
(ほんまや!
善無畏・金剛智・不空らが捏造したまんま そのまま同じことをゆうてるだけやな!((怒))`´/
アカンでアカンで!((怒))

『理』の上でも『法華経』は『二乗作仏』や『久遠実成』明かしてるけど、真言宗側の三部経のほうは明かしていないんで、『理』の時点でも一緒と違うで!`´
『法華経』が勝れてるで!^^/

『印(手の用)』『真言(口の用)』も『権経』時限のものやろ!
『実経』は『法華経』やろ!
『合掌(手の用)』と『唱題(口の用)』あるやろ!
……って これは、大聖人が明かされますんな(爆)^^;アカンアカン
歴史追い越しかけた(爆)すいません(汗)^^;
もっと根本的には『信心』による『生命力』やで!

まぁともかく
この当時の時点では、
『法に依って、人に依らざれ』で判断して行くのが鉄則やで!
慈覚!
タブらかされて
かぶれてしもたらアカンで!(怒)
『法華経』と慈覚の立場からしたら師匠に当たる『伝教大師』の仇(かたき)討つ立場やろ!
『弘法(こうぼう)』に対してボロクソに破折するんかなぁって思ってたら、

なんやこいつ!
こいつもかよ!(怒)`´/
クソ慈覚!(爆)`´)




(つづく^^)





報恩抄愚釈112

(※慈覚が【ジョ(慈覚なりにまとめた解釈書物)】を造った当時の情況場面が続きます。)

(つづき^^)
(306頁5行目〜)

「然れども 我が心に猶(なお) 不審(ふしん)や のこりけん」

しかしそれでも、
わが心(慈覚の心の内に) まだ ひっかかり が残っている…(-_-)。


((∵)お!正気に戻るんか!?)


「又 心には とけ(解)てん けれども 人の不審(ふしん)を はらさん とや ・ おぼしけん、」

また、心では解(わか)っているんだが、人々の疑いを晴らしてみよう!と思い立った(-_-)。


((∵)…って ほんまかよ!(笑)
根源的に捏造経にだまされて、タブらかされてるのに、
それを なんぼ磨いても、
だまされてる輝きしか出てけーへんやろ!((爆))
普通に考えても!(笑)^^
アカンで!アカンで!アホちゃうか!(笑)^^)




(つづく^^)




報恩抄愚釈113

(慈覚が【ジョ】を造った際の情況場面が続きます……)


(つづき^^)
(306頁6行目~)

「此の十四巻のジョを※御本尊の御前に さしおきて」

この14巻のジョ(慈覚がまとめた解釈書物)を※御本尊の前に、供えるようにように置いて


(つづく^^)


【※備考参照】
(「※御本尊」ってここに記されているので、
(・・;)!?エッ!?
っとなって調べたところ、
『撰時抄』(280頁15行目)にこの情況場面のことが記されてありました。^^/(嬉)
『撰時抄』のほうでは
「……御本尊は金剛界の大日如来・此の御前(みまえ)にして……」
と記されてますので、
この場面で登場している「御本尊」というのは、
あの善無畏(ぜんむい)が捏造して悪意の意味付けをしたところの「御本尊」ということであって、元々本来は権経の権仏であるところの『大日如来』を指して、『これが御本尊だ!(-_-)』と慈覚が勝手に邪(よこしま)な間違った設定をしているものです。(怒)
あくまでも慈覚がタブらかされていることに気付かずに鵜呑みにして勝手に設定しているところの「御本尊」でありますので、
この「御本尊」という3文字だけ見れば、ややこしく勘違いする恐れがありますので、
皆様充分にご注意下さいませ。^^/)


(更に【愚考∵】
慈覚が根本設定・本尊設定をミスったこともあり、この時点での事(こと)の重大性を鑑みても、これはハッキリと正しい仏法(三大秘法)を広宣流布しなければならない!!!と大聖人は痛感されたのかもしれませんね^^/)



(つづく^^)




報恩抄愚釈114

(慈覚物語(笑)は続きます……)

(つづき^^)
(306頁7行目〜)

「御祈請(きせい)ありき・かくは造りて候へども仏意計りがたし
大日の三部や すぐれたる 法華経の三部や まされる と 御祈念 有りしかば」

(慈覚は『大日如来』に) 祈りました。
このような【ジョ】を私(慈覚)は造ったが、はたして仏意に叶っているものなのか計りがたいところである。
そこで、
大日経側の教えが勝れているのか?
それとも、
法華経側の教えが勝れているのか?
いったい、
どちらが勝れているんだ?
と祈ってみたところ(-_-)……


「五日(いつか)と申す 五更(ごこう)に 忽(たちまち)に 夢想(むそう)あり、」

祈りはじめてから、5日目の
※五更(ごこう)
(※【備考】五更を国語辞典で調べたら、
(1)昔、日没から日の出までを五等分した時刻の総称。
(2)昔の時刻の名。今の午前3時ごろから5時ごろの間。寅(とら)の刻。
とのことです^^)

に、
たちまちに、夢を見た!(-_-)……


その夢とは!……
ホワッ ホワッ ホワッ ホワワワ〜ン
(つづく)



(あ〜エエとこで(笑)^^)



【愚感】
(∵)
(『法華経』という一切経の根本の【法】に依った伝教大師をそっちのけにして、捏造邪義の善無畏という【人】師を根本にして依っている時点で、判断間違うてるど!慈覚!`´/(怒))



(つづく^^)




愚釈エピソード3(慈覚物語)

(※『報恩抄』の途中ですが、ここで『撰時抄』のなかに『慈覚夢想物語(笑)』が記されてありましたので、エピソード3(笑)として抜粋させて頂きます。^^)

(281頁6行目〜)
「大師二経のジョを造り功を成し已畢(おわ)つて心中独り謂(おもえ)らく」
(慈覚大師が二経のジョ(金剛頂経のジョ 7巻 プラス 蘇悉地経のジョ 7巻 の合計14巻のジョ)を造って いいことをやりおえたと心の中で独り考えた。と。)

「此のジョ仏意に通ずるや否や もし仏意に通ぜざれば世に流伝せじ」
(この造ったジョが仏意に通じているのかいないのか。と。
もしも仏意に通じていないのならば世の中に流布しないだろう。と。)

「イ乃(よ)つて仏像の前に安置し
七日七夜深誠を翹企(ぎょうき)し祈請(きしょう)を勤修す」
(なので、仏像(『大日如来』)の前に造ったジョを置いて、7日7晩祈る計画を立てて祈りはじめた。と。)

「五日の五更(こう)に至つて 夢(ゆめみ)らく」
(祈りはじめてから5日目の午前3時頃から午前5時頃にかけての間に夢を見た。と。)

「正午に当つて日輪を仰ぎ見 弓を以て之を射る 其の箭(や)日輪に当つて日輪即転動す」
(その夢とは、お昼正午の時間帯の頃に太陽を仰ぎ見ていた。と。
そこでこの太陽めがけて弓矢をピシュッと射たら、その箭(や・矢)が太陽にグサッと当たって太陽がグラグラッと動転した。と。)

「夢覚めての後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝うべし」等云云、
(そしたら、ハッ(-_-)っと夢から醒めた。と。
この夢は自分(慈覚)が造った『ジョ』が仏意に通達しているんだ。と。悟った。と。ヤッターと。後世に伝えるんだ。と。
と慈覚は云云(うんぬん)しています。と。)


とのことです。
(∵)へ〜すばらしい お夢 ですね^^……
……
……って なるか〜〜〜`´/(怒)アホ!

どこがエエ夢やねん(爆)`´/
神経疑うわ((爆))
心悪い不気味な夢見やがって!(笑)
アホちゃうか!慈覚!
『法華経』や、
慈覚の師匠に当たる『伝教大師』に対して弓矢を射るから謗法や師敵対が そのまま不気味な悪夢として顕れてんねんやろ!(怒)`´/
クソ日顕!
…あぁこの時点のこの場面ではクソ慈覚!`´/


(エピソード3終わり)
(報恩抄愚釈へ続く^^)



報恩抄愚釈115

(愚釈つづき^^)
(306頁9行目~)
(ホワッホワッホワッホワッホワワワ~ンと慈覚は夢を見ました。)

(慈覚が)悦(よろこ)んで言うには、われ(慈覚)は吉夢を見た!と。
法華経よりも真言の教えが勝れている と造った解釈書は仏意に叶っているんだ と悦んで、宣旨(せんじ・申し送り事項)を下して、日本国に弘めてしまいました。
しかも、この申し送り事項には、
『遂に知ることができた!天台の止観(一念三千の教え)と真言宗側の教えとでは、理では同じだ』などと言っている。
祈っていたジョの内容には『大日経よりも法華経は【劣っている】』などと言っておきながら、申し送り事項には『法華経と大日経は【同じだ】』
などと言っている。


(つづく)


(【愚感】(∵))
…って
どないやねん(爆)
(゜o゜)\(∵)

慈覚は見事なまでのタブらかされ方!(怒)`´/

『私はどちらが勝れているのか結局、判断できかねます!\(-_-)/』

って大声で宣言してるっちゅうことですな!(爆)^^

慈覚2パターン言い方変えて、どっちか当たるやろ的な主張してるけど、
真言宗側の教えは未顕真実の経ばかりなので、【法華経が勝れてる】で!^^
しかも、理のうえでも真言宗側の経には『二乗作仏』や『久遠実成』が説かれていないので、理のうえでも真言宗側の経は劣っているので、【同じじゃない!】で!^^

慈覚の申し送り事項の通達下したこの当時のこの時点に於いて、
『時』の『法華経』の『正統派の行者』がついに、
【0(ゼロ)になった。】
ゆうことになりますな!
(怒)`´/
末法にちゃんと清浄なる『法華経』引き渡せよ!(怒)
慈覚!(怒)`´/


(つづく^^)




30周年\(^o^)/

 本日の聖教新聞(3)面にて、池田先生が長編詩を発表されて30周年とのことで揮毫(きごう)が紹介されています。
\(^o^)/
大変おめでとうございます!

『青年よ
 二十一世紀の
 広布の山を
   登れ
 青年に
  託しゆづらむ
   この日かな
 一九八一年
   十二月十日
     大作』

との揮毫です。



この「二十一世紀」を「生命の世紀・人間の世紀」と捉えて、頑張ってまいります!^^/
青年部万歳!
SGI万歳!
\(^o^)/






宝物

『されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり
無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり』
(752頁)
『無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり』
(752頁)


無明まよゐさん
鯖さん

スッキリ以上の宝物(まごころ)

ありがとうございました。(感謝)
m(__)m
\(^‐^)/



報恩抄愚釈116

(愚釈115のつづき^^)
(306頁13行目〜)

「智証(ちしょう)大師は 本朝にしては 義真和尚(ぎしんわじょう)・円澄(えんちょう)大師・別当(べつとう)・慈覚 等の 弟子なり、」

【智証大師(ちしょうだいし)】は、
日本国においては、
義真和尚や
円澄大師や
別当や
慈覚といった方々らの
弟子にあたる人です。


(つづく)



(∵)
(【智証大師】という人が登場してきました。…
『慈覚(じかく)』が善無畏(ぜんむい)の捏造した教えにタブらかされて取り入れた邪義を糺(ただ)し直すことができるのでしょうか…
はたして……)



(つづく^^)



報恩抄愚釈117

(愚釈116のつづき^^)
(306頁13行目〜)

「顕密の二道は」

顕教と密教の二つの教えは、

(つづく)



【愚考】
(∵)
(※顕教(けんきょう)と密教(みっきょう)といった教えの捉(とら)え方は、真言宗側の輩が重視している教えとのことです。
でも、法華経の教えと爾前権経の教えの『勝劣関係を無視したまま立てられた教え』であって、
あの善無畏(ぜんむい)らが捏造した邪義です!!(怒)`´/
そもそも、真言宗側の経典のすべては爾前権経の教えであり、無量義経において『四十余年 未顕真実』と破折されている権(か)りの教えです。
本当の秘密とは法華経の『寿量品』で説かれている『如来秘密神通之力』の『秘密』であり、その秘密とは凡夫が凡夫の身のままで即身成仏するという教えこそが、本当の秘密であります。^^
その秘密を十界互具の『御本尊』として明かに表明されたのが大聖人であられます。^^
三大秘法という実践法を明示され、証明され、凡夫成仏の道が一切衆生に明かに拓(ひら)かれたのはここからです!!!
\(^o^)/
(大感謝))



(つづく^^)




報恩抄愚釈118

(愚釈つづき^^)
(306頁13行目〜)

「顕(けん)密(みつ)の二道は大体・此の国にして学(がく)し給いけり
天台・真言の二宗の勝劣の御不審(ふしん)に漢土へは渡り給けるか、」

(【智証(ちしょう)大師】は、)
顕教・密教といった2つの教えのそれぞれのことは、だいたいほとんど この日本国において学習しました。…
が、
天台(法華経の教えを第一と立てる宗教)
と、
真言(大日如来の教えを第一と立てる宗教)
の勝劣問題のことで、不審を晴らすためにでありましょうか…漢土(中国)に渡りました。



(つづく)



(∵)
(皆このパターンで中国まで調べに習いに行きますんな(笑)^^)



(つづく^^)





報恩抄愚釈119

(愚釈つづき^^)
(306頁14行目〜)

「去(いぬる)仁寿(にんじゅ)二年に御入唐・
漢土にしては真言宗は
法全(ほつぜん)・元政(げんじょう)等に ならわせ給い
大体・大日経と法華経とは理同事勝(りどうじしょう)・
慈覚(じかく)の義のごとし、
天台宗は良(言+胥)(りょうじょ)和尚に ならひ給い・
真言・天台の勝劣・
大日経は
華厳(けごん)・法華 等 には及ばず 等云云、」

(【智証(ちしょう)大師】は、)
さる、仁寿(にんじゅ) 2年という年に御入唐(中国に渡られました)。
そして漢土(中国)に渡られてから、
真言宗(の教義のこと)は、
『法全(ほつぜん)』や『元政(げんじょう)』といった(真言宗の教師たち)から習い、
『だいたい大日経と法華経とは理(り)では同じだが事(じ)では大日経が勝れているのだ』と習いました。
それは、あの『慈覚(じかく)の主張する言い分』と同じ内容でした。

(`´/間違ってるど!!(怒)(割り込みすいません(笑)^^/))

(一方(いっぽう)、)
天台宗(の教義のこと)は、
『良(言+胥)(りょうじょおしょう)』という(天台宗の教師の方)から習い、
真言宗と天台宗の
勝劣問題のことに関しては、
『大日経という経は、華厳経や法華経よりも劣っている経である。』
と習いました。


(つづく)



(∵)
【愚感】
(こんがらがらんといてや(笑)
智証さん(笑)^^)



(つづく^^)








報恩抄愚釈120

(【智証(ちしょう)大師】は、『法華経』と『大日経』の『勝劣問題』のことに関して疑問を抱いたためにでありましょうか……
中国に渡られ、それぞれの教えを、それぞれの教師から習いました。
はたして……)

(愚釈つづき^^)
(306頁16行目〜)

「七年が間・漢土に経(へ)て
去(いぬ)る貞観元年五月十七日に御帰朝、」

(智証大師は、)
(約)7年間(中国に渡り、それぞれの教えを学習して、)
さる、貞観元年の5月17日に日本国に帰ってきました。


(つづく)



(∵)
(お!帰ってきた。
7年間って 結構な年月やで。
…ほんで(∵)(笑))


(つづく^^)




報恩抄愚釈121

(智証大師は日本国に帰ってきました……判断ついたんでしょうか……はたして……)
(愚釈つづき^^)
(306頁17行目〜)

「大日経の旨帰に云く『法華 尚(なお)及ばず 況(いわん)や自余の教をや』等云云、
此釈は法華経は大日経には劣る 等云云、
又 授決(じゅけつ)集に云く『真言禅門 乃至 若し華厳 法華 涅槃 等の経に望むれば 是れ 摂引(しょういん)門』等云云、
普賢経(ふげんきょう)の記・論の記に云く 同じ 等云云、」

(【智証(ちしょう)大師】は、学習してきた)『大日経』のことを、自分で まとめた手記に こう書いています。
そこには、『法華経は(大日経には)及(およ)ばない経だ。ましてや、その他の経々は なおさら及ばない経だ。』
と書いています。
この(【智証】の)解釈は『法華経は大日経よりも劣っている。』
と述べています。
また、いっぽう、
授決集(という これも【智証】が書いた手記)のほうには、
『真言宗や禅宗といった 教え 法門 は、華厳経や法華経や涅槃経といった経々からしてみれば、準備段階的に説かれた権(かり)の教えにすぎない法門である。』
と書いています。
はたまた、
『普賢経』のことを学んでまとめた【智証】の手記や、
『※法華論(※法華経を解釈した最古の書物といわれているもの とのこと)』の ことを学んでまとめた【智証】の手記のほうでは、
(法華経と大日経は)
『同じだ。』
などと書いています。


(つづく)



(∵)
(言いぶん
バラッ パラッ やなぁ…(爆)^^)
(どねんなっとんねん!(笑)^^)
(思いっきりタブらかされたままやがな!【智証】!(怒)
`´/)



(つづく^^)




御礼

※大白蓮華
2012年1月号
届きました。^^
報恩抄現代語訳が始まりましたので、
『報恩抄愚釈』と題してのものは中途半端ですが本日で終了させて頂きます。
いろいろと真心よりのご意見や激励くださった皆様大変ありがとうございました。
感謝申しあげます。
m(__)m

本日より、普通に御書全編の拝読挑戦に切り換えさせていただきます。^^


   赤ポス拝
    m(__)m







主権在民

『主権在民』
っていうキーワードは、今更ながらに改めて考えてみたら、物凄いことだなぁと思います。^^
あくまでも個人的な所感ですが、
無量義経の
『四十余年未顕真実』と同じくらいの輝きを感じています。^^/

民衆仏法万歳!
\(^o^)/






久遠

 久遠の本質は『もともと』だ。
『もともと』とは本来的にズーッと ということだ。
『絶対的幸福境涯』は『もともと』本来的にズーッと万人一人一人に具わっている。
生命は必ず縁に依って起こる。
『絶対的幸福境涯』も縁に依って起こる。
浮き木が流れて来るのを待つのは、いつ会えるのか分からない程の、計り知れない待ち時間になってしまう。
だから、普通に勤行・唱題していることは、
実は、
永遠に会い難き仏様のところへ
直接出向いて会いに行って、
不思議にも、
永遠に会い難き仏様に直接出会えて、
直々に仏様にお会いして、
縁を結んでいるということになる。
なので、
『絶対的幸福境涯』の本源に(自宅の御本尊のふもとに)今から出向いて会いに行ってきます。^^/

(※一年間皆様ありがとうございました。^^)



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