報恩抄愚釈98

(伝教大師さんは嵯峨(さが)天王の在位期間中の
弘仁13年6月4日に御入滅。御逝去される。…)

(愚釈97のつづき(∵))
(305頁9行目〜)


同じき(嵯峨天王の在位期間中の)
弘仁14年より
【弘法(こうぼう)大師】が、嵯峨天王の師匠となって、
【真言宗(しんごんしゅう)】を立ち上げて、
『※東寺(とうじ)を給(たまい)』

(※【備考】
『東寺』とは京都市にある真言宗東寺派の総本山とのことです。
嵯峨天王が弘法大師に賜(たま)わった寺とのことです。
寺自体建てられたのは、延暦(えんりゃく)15年とのことです。
……なので、
弘法大師も伝教大師も二人共まだ唐(中国)へ渡られる以前に建立してた寺院であり、
『給(たまい)』
ってなっているところを見ると、
以前からあった寺院の所有の権限を嵯峨天王から与えられた、賜わった。
ということになりますね。(∵) )

真言和尚(しんごんおしょう・しんごんわじょう)と名乗り、
これより、
【8宗】(日本国8宗目の宗教が)始まった。




((∵)【所感】
伝教大師さん亡くなって、その翌年に弘法が真言宗を立ち上げたって
弘法の計画臭プンプンするなぁ!
弘法も嵯峨天王も綺麗にタブラカされたまま『正直捨方便』じゃなく、『正直捨実経』しましてんな(∵)
(/--)/
((怒))((怒))((怒)))




(つづく^^)








スポンサーサイト

報恩抄愚釈99

(愚釈つづき^^)
(305頁10行目〜)


【弘法(こうぼう)】が、
釈尊一代で説かれた経々の勝劣問題の順位を、弘法なりに判断して言うには、
「第1番目に勝れているのは、
『真言大日経』だ!(-_-)。
第2番目は、
『華厳経』だ!(-_-)。
そして、第3番目が、
『法華経や涅槃経など』だ!(-_-)。
云云(うんぬん)(-_-)。」

と言っている。


(つづく)



(`´ 『真言大日経』は、あの善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)らが本来の権経としての『大日経』を【捏造】したもの!
それを弘法が鵜呑みにして騙されてるだけ!(怒)`´
『華厳経』は、法蔵法師(ほうぞうほっし)のオッサンが天台に破折されたハライセに書き換えた『新訳華厳経』やで!`´(怒)
それをまた、弘法が鵜呑みにして騙されてタブらかされてるだけ!`´(怒)
コロッと騙されてるぞ!弘法!(怒)`´)



(つづく^^)




報恩抄愚釈100

(愚釈つづき^^)
(305頁10行目下のほう〜)


(【弘法(こうぼう)】の言い分が続きます。)

「『法華経』は、『阿含(あごん)経』や『方等(ほうどう)経』や『般若(はんにゃ)経』に対したら、ま〜真実の経かも知れんけど、『華厳(けごん)経』や『大日経』から見れば(法華経は)『※戯論(けろん)』の法だ!(-_-)」

と言っています。

(※【備考】
『戯論(けろん)』の『戯(け)』
って国語辞典で調べたら、『たわけた。ふざけた。バカげた。』とのことです。
なので弘法は【法華経】のことを、たわけ呼ばわり・ふざけ呼ばわり・バカ呼ばわりしています。(怒)`´)


(【破折●∠●】
弘法は善無畏や一行アジャリらが捏造した経を吟味せずに鵜呑みにして騙されてそのまま受け売り主張をしているにすぎない。
そもそも本来の大日経は方等部(ほうどうぶ)の経であり、大乗経を権(か)りに説かれた権大乗教の教えである。
そして、本来の華厳経も大日経も釈尊自身が無量義経(むりょうぎきょう)において、『四十余年。未顕真実。(四十余年には未だ真実を顕さず)』と述べられている四十余年の内に説かれた教えである。
そして、
『正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)
但説無上道(たんぜつむじょうどう)』
(正直(しょうじき)に方便(ほうべん)を捨(す)てて 但(ただ)無上道(むじょうどう)を説(と)く)
と明かされている経こそが
『法華経』であります。
\(^o^)/)




(つづく^^)







報恩抄愚釈101

(【弘法(こうぼう)】の言い分が続きます。)
(305頁11行目〜)

「教主釈尊は 仏なれども 大日如来に向うれば 無明(むみょう)の辺域(へんいき) と申して 皇帝と俘囚(えびす) との如し、」

教主(きょうしゅ・おしえぬし)の釈尊は仏だけれども、大日如来からすれば比べ物にならないくらい劣っていて、皇帝と※俘囚(えびす)ほどの違いがあるようなものだ。(-_-)

(【※備考】
『俘囚(えびす)』
って国語辞典で調べたら載ってなかったので、
『俘』で調べてみたら、『とりこ』とのことです。
『囚』で調べてみたら、『とらわれ』とのことです。
なので『捕虜(ほりょ)』とか『囚人(しゅうじん)』とかの意味合いになりますね。(∵) )


((怒)(`´)一切経の説き主の釈尊をけなして、なんで、借りに説いた権経の『例(たと)え仏(ぶつ)』崇めとんねん!(怒)`´
アホちゃうか!(怒)`´

ほんでまた これ 善無畏と一行アジャリが造り替えた捏造経の教えのまんま(笑) そのまま ゆうてるだけやな!`´

法華経けなした次は釈尊までけなして むちゃくちゃやなぁ(怒)`´クソ弘法!)




(つづく^^)




報恩抄愚釈102

(【弘法(こうぼう)】の言い分が更に続きます。)

(305頁12行目〜)

「天台大師は盗人(ぬすびと)なり 真言の醍醐(だいご)を盗んで 法華経を醍醐 という」

天台大師はドロボーだ(-_-)。
真言宗の醍醐(牛や羊の乳から精製して作った栄養分の一番良いところという意味で、ここでは【一念三千の法理】のことを指している)を盗み取って、法華経に盗み入れて、法華経を醍醐だと勝手に言っている(-_-)。



(`´)(怒)
(ドロボーはそっちやろ!弘法!
天台大師亡くなられてから100年程後から真言宗関係の教えがインドから中国に渡ってきてんやろ!`´(怒)

まだ無い時点で盗みようが無いやろ(爆)^^

どう考えても真言宗関係の輩が盗んでるで!(笑)^^

法華経は けなすわ、釈尊は けなすわ、天台はけなすわ、むちゃくちゃやなぁ(怒)

弘法の時代において、その当時の仏・法・僧に当たるのを全部けなしてるで!`´

思想の鵜呑み
恐るべしやなぁ
ほんまに!)




(つづく^^)









正義

 創価学会創立81周年『創立記念日』。
大変おめでとうございます。
万歳!
\(^o^)/
更なる精進行に尽力してまいります。

再び

 生まれた時点で、その方は、
妙法に もとづき 生きてゆき、
妙法に もとづき 死んでいく ことが、決定している生命体である。

 亡くなられた時点で、その方は、
妙法に もとづき 再び 生まれ、
妙法に もとづき 死んでいく ことが、決定している生命体である。

三世十方に亘り、
すでに 今も 未来も、
妙法に もとづいた生命体である。


強盛なる信心
頑張ります。
^^/



報恩抄愚釈103

(時代アッチ行きコッチ行きしてすいません(笑)^^;)

(愚釈102の続き^^)
(305頁13行目〜)

「なんど かかれしかば 法華経は いみじ と をもへども 弘法大師に あひぬれば 物の かずにも あらず、」

(弘法が言っている法華経や釈尊や天台の悪口)などと書かれて主張しているので、いくら『法華経』は尊い経だと思っていても、【弘法(こうぼう)】の扱いに掛かれば物以下ゴミみたいな扱いをしている。`´

「天竺の 外(げ)道 は さて置きぬ 漢土の南北が 法華経は 涅槃経に対すれば 邪見の経 と いゐし にも すぐれ 」

インドの外道は(そもそも内道の仏教じゃないので、比べて今更言うまでもないことなので、)ここでは置いておくが、
中国の(法雲法師を支持していたあの)南三北七の者たちが『法華経』のことを、『涅槃経』に比べたら、邪見の経だと言って(法華経を下げた)言い分よりも(弘法の扱いは)酷い扱いであり、

「華厳(けごん)宗が 法華経は 華厳経に対すれば 枝末教(しまつきょう)と 申せし にも こへたり、」

(法蔵法師らの)華厳宗の者たちが、『法華経』は『華厳経』からすれば、枝葉の教えであって根本の教えじゃない と言って けなした扱いをした以上に酷い扱いを(弘法は)している。`´(怒)




(つづく^^)





報恩抄愚釈104

(つづき^^)
(305頁15行目〜)

「例(たとえ)ば 彼(か)の 月氏(がっし)の※大慢婆羅門(だいまんばらもん)が 大自在天(だいじざいてん)・那羅延天(ならえんてん)・婆籔天(ばそてん)・教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)の四人を 高座(こうざ)の足(あし)に つくりて 其(そ)の上に のぼつて 邪法を弘めし 」

例えば、かのインドの※大慢婆羅門が、大自在天や那羅延天や婆籔天や教主釈尊の4人を高座の足に造って、その上に登って、邪法を弘(ひろ)めた。

【備考】
『※大慢婆羅門』
(だいまんばらもん)
は、釈尊滅後の正法時代に生存していた南インドのバラモンの僧とのことです。
慢心を起こして、自分が座る椅子か座台なのかちょっとわかりませんが、その高座の4本の足のところに、『外道の三神』と言ってその当時、外道信仰のものたちに崇められていた『大自在天・那羅延天・婆籔天』の3人と、内道・仏教の『釈尊』とで計4人を、それぞれ高座の4本の足のところに彫りつけて、「わが徳は四聖にすぐれたり!」と言って、自分はいかなる賢人・哲人よりも優れていると慢心を誇っていたとのことです。
そして時の帝王からも信頼されていたとのことです。
そんなところへ、
西インドから『賢愛論師(けんあいろんじ)』という人が来て、『大慢婆羅門』を糺(ただ)したとのことです。
その事に対して、時の帝王が詰め寄り、『大慢婆羅門』と『賢愛論師』の【法論対決】になったとのことです。
そして、『大慢婆羅門』は『賢愛論師』に法論で敗れたとのことです。
そして『賢愛論師』の正しさに気付かれた帝王は、「邪見が晴れた!」と賢愛に感謝しました。
さらに、「自分の先の王も、この大慢にタブラカされていたんだ!」と知り、帝王は それまで騙されていたことを悔い改めた とのことです。
そして『大慢婆羅門』は帝王に殺されるだんどりになったとのことです。
しかし、『賢愛論師』がどんなことを言ったのかはちょっとわかりませんが、何か助言をされて、『大慢婆羅門』の命を奪う代わりに『五天竺を驢(ウマかロバ)に乗せて 顔を晒(さら)す』という刑罰に変更して、命は救われたとのことです。
しかし、助言で命を救われたにもかかわらず、『大慢婆羅門』は素直に受け止められずに、反省できずに、このことに恥じて、怒りのあまりに血を吐き、逆ギレして『賢愛論師』のことを怨(うら)み、さらに大乗教を誹謗(ひぼう)しだしたとのことです。
そのために、大地が裂(さ)けて、生身(しょうしん)のまま地獄に堕ちてしまったとのことです。



「が ごとし」
(305頁16行目)

(例えれば、弘法大師も、この大慢婆羅門)

の ようなものである。



(つづく^^)





報恩抄愚釈105

(つづき^^)
(305頁16行目〜)

「伝教大師・御存生ならば一言は出されべかりける事なり、」

伝教大師が御存命中であるならば、(弘法大師に対して)【一言】は忠告されておられた事でありましょう。



【愚考】
(∵)
(そらせやわ!
キッツイ一言……一言では終わりませんやろね。`´
「仏法をむちゃくちゃにする気か!`´」
って
万感を尽くされた鉄槌を下されるような呵責の一言ですやろね。∵)



(つづく^^)


報恩抄愚釈106

(つづき^^)
(305頁17行目〜)

「又 義真(ぎしん)・円澄(えんちょう)・慈覚(じかく)・智証(ちしょう) 等も いかに御不審(ふしん)は なかりけるやらん 天下第一の大凶なり、」

また、(伝教の弟子たちである)義真や円澄や慈覚や智証たちも、「これはおかしなことだ!」と不信感を抱いて迷惑がることでありましょう。
(弘法(こうぼう)大師の言動は)天下第一の大凶ともいうべき悪態であります。


(そうだ!そうだ!^^/
ビシッと伝教の弟子たちが破折したらエエねん!^^)



(つづく^^)



報恩抄愚釈107

(愚釈つづき^^)
(305頁17行目下のほう〜)

「慈覚大師は」

慈覚大師は



(∵)
(伝教大師の弟子である
【慈覚大師(じかくだいし)】
が登場してきました。^^

よっしゃ!ビシッ!っと弘法(こうぼう)の破折したったらエエねん!^^
頼むで!(笑)^^

法華経の かたき とってくれ!^^)



(つづく^^)



報恩抄愚釈108

(つづき^^)
(305頁17行目下のほう〜)

「【慈覚大師】は 去(い)ぬる承和五年に御入唐・」

(伝教大師の弟子の)【慈覚(じかく)大師】は、さる承和5年の年に中国へ渡られました。

「漢土にして 十年が間・天台・真言 の二宗 を ならう、」

中国において(約)10年間にわたって、『天台の教え』と『真言の教え』の二宗教をそれぞれ習いました。

「法華・大日経の勝劣を習いしに
法全(ほつぜん)・元政(げんじょう)等の八人の真言師には 法華経と大日経は理同事勝(りどうじしょう)等 云云、」

『法華経』と『大日経』の勝劣問題を習うにあたって、
まず 法全(ほつぜん)や元政(げんじょう)らの8人の真言の教師の方々からは、
『法華経と大日経の勝劣関係は理では同じだが、事では(大日経が)勝(すぐ)れているんだ』
と習いました。

「天台宗の 志遠・広修・維ケン(ゆいけん)等に習いしには 大日経は方等(ほうどう)部の摂(しょう)等 云云、」

いっぽう天台宗の志遠(しおん?しえん?)や広修(こうしゅう?)や維ケン(ゆいけん)ら といった(天台宗の教師の)方々からは、
『大日経というは(釈迦仏が説いた教えで、衆生が仏の教えを受け入れやすくするために、機根を整(ととの)えるために、仏が権(か)りに設(もう)けた権大乗教(ごんだいじょうきょう)というジャンルに属する教えであって、順々に設けたジャンルのなかの)方等部(ほうどうぶ)というジャンルの教えです。』
と習いました。


(つづく^^)



(∵)
(師匠の伝教大師とおんなじように、中国へ渡られて確認しに行きましてんな^^)

(こんがらがらんといてや。慈覚さん(笑)
ちゃんと末法に渡してや。(願)^^)


(つづく^^)



報恩抄愚釈109

(つづき^^)
(306頁2行目〜)

「同じき承和十三年九月十日に御帰朝・」

同じく(承和という年号の)
承和13年9月10日に日本国に帰ってきました。

(∵お!帰って来た!^^)

「嘉祥(かしょう)元年六月十四日に宣旨(せんじ)下(くだる)、」

そして、嘉祥(かしょう)元年6月14日に宣旨(通達・申し送り事項)をくだしました。


(∵お!
ビシッ!っと何を申し送った!?……)






(つづく^^)








↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。