報恩抄愚釈91

(愚釈つづき^^)
(305頁5行目〜)

【空海(弘法大師)くうかい(こうぼうだいし)】は、
延暦(えんりゃく)23年5月12日に中国へ渡られる。
そして金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)・善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)
という二人の三蔵の第三のお弟子さんである
【慧果和尚(けいかわじょう?けいかおしょう?)】という人から、
『※両界』
(※金剛界・胎蔵界という真言宗関係の教え)
を伝授された。



(…^^なんかもう、この時点で、あの『エピ2不空』の師匠に当たる『金剛智』と、あの『エピ1善無畏』の流れを汲んだ【教え】をそのまま引き継いでるという時点で、ろくでもないもん伝授されましてんな(爆)^^
ほんまに鵜呑み恐るべしですな!)



(続く^^)



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報恩抄愚釈92

(愚釈つづき^^)
(305頁6行目〜)

(弘法大師は)大同(だいどう) 2年10月22日に日本に帰国される。
平城(へいぜい)天王の時代のことである。


(続く^^)

(∵)【余談】
(※この報恩抄では【伝教大師】は「延暦23年7月御入唐」で「延暦24年6月に帰朝」と書かれてますので、11カ月間。約1年間近く行ってたとのことですね。
【弘法大師】は「延暦23年5月12日に御入唐」「大同2年10月22日に御帰朝」と書かれてます。延暦25年と大同元年がかぶってる年で、5月18日〜大同という年号とのことです。なので、約3年と5カ月の間ということになりますね。
二人の行ってた時期がかぶってます。
伝教大師のほうが弘法大師の少し後から唐へ渡り、弘法よりも先に帰国したことになりますね。^^)



現代語訳

 2011年10月15日付けの聖教新聞の一面にて、
「池田名誉会長が監修 教学部編
御書五大部の【現代語訳】
『大白蓮華』で連載開始」
との妙報あり。
「人類の『希望の経典(きょうてん)』御書。御書には、万人が幸福の人生を勝ち開くための方途(ほうと)が説(と)き明かされている。
この御書の真髄(しんずい)を、現代の人々に、どうわかりやすく伝えていくか。社会へ、世界へ、生きた言葉として、どう展開していくか。
広宣流布の未来を展望した時、御書の各言語への翻訳(ほんやく)とともに、平易(へいい)な言葉で理解するための【現代語訳】が重要な課題となっている。
このほど、池田名誉会長の監修(かんしゅう)のもと、教学部編による御書五大部の【現代語訳】を『大白蓮華(だいびゃくれんげ)』で連載していくことが決まった。」

とのことです。


※大白蓮華に報恩抄の現代語訳が始まり次第、そちらの学習に切り替えさせて頂きます。









フランス語版「御書」が完成

 2011年10月19日付け聖教新聞の一面に、「フランス語版『御書』が完成」
との妙報あり。
「欧州広布50周年の佳節を記念し完成した。」

とのことです。



えらい時代やなぁ!
と思いました。^^





報恩抄愚釈93

(愚釈続き^^)
(305頁7行目〜)

【桓武(かんむ)天王】は御崩御(ごほうぎょ)(死去しきょ)される。


(つづく^^)



(∵)
(【余談】
あの【伝教大師】が高雄(たかお)寺にて、七大寺から蜂や烏の大群のごとく集まってきた各宗教の偉いさんらの前で、【法華最勝】を宣揚した際の立会人になられた天皇ですね。
本門じゃなく迹門時限の像法時代の【法華経】ですが、法華経流布の歴史上の関わりを持たれた天皇ですので、不思議な使命の方だと思います^^
ご冥福をお祈り致します。)



報恩抄愚釈94

(弘法大師は中国に渡り慧果(けいか)という人に真言宗関係の教えを習い、日本に帰国。平城(へいぜい)天王の時代である。桓武(かんむ)天王は亡くなられたので、平城天王の時代に移り変わる。………)

(愚釈93の続き^^)
(305頁7行目〜)


(弘法大師は)『平城天王に見参(けんざん)し 御用(おんもち)いありて御帰依(ごきえ)・』
弘法大師は平城天王に会われて 採用されて 帰依された。


(つづく^^)


(∵)
(【所感】
なんか平城天王いう人は、えらいアッサリと弘法のことを受け入れて信用しましてんなぁ……。
ただ、中国から帰って来た僧侶いうだけで、アッサリと「あ〜偉い僧侶や!」って信用しましたんかなぁ……。
宗教の内容も確認・吟味もせずに弘法に丸投げで一任した感がプンプンしますわ。
(-_-;)

なんかふにおちんなぁ〜!
捏造教を鵜呑みにした坊主をそのまま鵜呑みにして、アッサリとたぶらかされすぎやろ!((怒)) )








報恩抄愚釈95

(つづき^^)
(305頁7行目〜)


『他に ことなりしかども』
通常と違って

『平城(へいぜい) ほどもなく 嵯峨(さが)に 世を とられ』
平城天皇は、わずかの在位期間で、嵯峨天皇に世を取られた。嵯峨天皇の時代となった。


(つづく^^)




(∵)
(【余談】
桓武天皇と平城天皇は父と子の関係とのことです。
平城天皇と嵯峨天皇は兄と弟の関係とのことです。
『他にことなりしかども』
とか
『平城ほどもなく』
とかは、桓武天皇は在位期間が約25年程だったとのことです。
平城天皇は約3年程の短期だったとのことです。
そして嵯峨天皇の時代になったとのことです。
複雑な皇族事情があったようですが……詳しい事情は知りません(笑)(∵)
^^)



報恩抄愚釈96

(つづき^^)
(305頁8行目〜)


『嵯峨(さが)に 世(よ)を とられさせ給(たま)いしかば 弘法 ひき入(い)れてありし程(ほど)に』

嵯峨天皇の在位時代になって、弘法大師のことを(平城天皇が採用して帰依したことを、同じく、そのまま引き継いで)引き入れて採用した。


(つづく^^)



(∵)
(【所感】
皇族事情のゴタゴタは詳しくは知りませんが、いろいろあったわりには、弘法のことをそのまま引き継いだって……そら、まさか、もともと実の生命の教え(法華経)を権(か)りに説いた経(本来の方等部の大日経)を書き換えたもの(捏造した大日経)を教えられて、それを鵜呑みにした坊主(弘法)をそのまま鵜呑みに信じて採用して(平城天王)、それをそのまま自分(嵯峨天王)も鵜呑みにして引き継いで引き入れて採用するって夢にも思ってませんねやろな(爆)

亡国の因を引き継ぎすぎやろ!(爆)

宗教をファッション感覚的な捉え方してるんとちゃうんかなぁと思ってしまいますわ(∵)
^^)




報恩抄愚釈97

(愚釈つづき^^)
(305頁8行目〜)

『伝教大師は 嵯峨天王の 弘仁十三年 六月四日 御入滅、』

【伝教大師】は、嵯峨天皇(の在位期間中)の、弘仁13年6月4日に御入滅。逝去される。

(つづく^^)



(∵)
(【余談】

このタイミングで伝教大師さんが逝去されました。(∵)

釈尊は『大集経』という経のなかで、【時(とき)】と時代様相の関係性を釈尊が入滅されて以降500年単位で変化していくであろう と予言された経があるとのことです。(∵)

天台大師さんは第3の500年の
『読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご)』の【時(とき)】に当たる人で、

この伝教大師さんは第4の500年の
『多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご)』の時代の【時(とき)】に当たる人とのことです。(∵)

大聖人は、『本因妙抄』(870頁)で、
『本因妙の行者日蓮』との立場から、
『予が外用(げゆう)の師・伝教大師』と記されている御書もあるとのことです。(∵)

この『報恩抄』のこの時点では、伝教大師さんは、一切経は法華経を説く為にあったという【法華最勝】の確証を掴んでおられ、嵯峨天王は、いい教えと聞くならどんな経でも取り入れようという姿勢が見受けられます。(∵)
この時点では、日本国には7宗教存在していることになります。(∵)

ともかく、
この時点での、
【像法時代の後半の法華経の正師
という立場の伝教大師】さん
法華宣揚ありがとうございました。
お疲れ様でした。^^/)

(つづく^^)





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